「最近どなたかが投稿されたこんな記事を目にしました。」

『数日前に混雑していない車両に乗った際。停車駅ごとに乗客が増えてきて、着席した人よりも立つ人の方が多くなってきた頃、杖をついた70歳代と思しき男性が乗車してきてしばらくすると、 滅多に”お目にかかれない”奇跡のような光景になった。その人は、入口からシートのあるエリア方に進んできた。座席に腰掛け、それまで手元のスマホに没頭していた3,4人が一斉に立ち上がったのです!もちろん、その#ご老人に席を譲ろう としたのだとみて間違いないでしょう。奇妙なのはその「同時多発性」でした。ペアやグループでまとまって、ではなくそれぞれ個別の人達のよう。その退去の仕方があまりに奇妙で、フラッシュ・モブ(公共の場での突如なパフォーマンス)でも始まったのかと思うほどの勃発性。さらに厄介なのは、結果的にそのエリアが空席放置になった。その分、車内の立ち位置が狭くなり周囲が余計混雑状態。
観察していたかぎりでは、言わば【”自分”が立たないと悪者】という意識に見舞われたのか?席を空けることに意義があると心得が湧き出したのか?と思量してしまうほどの反応に映りました。
本質思考するこちら側の感想としては、その”自主的”な行動によって「席を空ける」あるいは周囲に立つ人が「目の前の空席を放置する」というムラのある状態に関与する”配慮”行動に走る方がよほど、「じっと座り続ける人/隣の元気溢れる人が譲ってくれるだろう」と思う人よりもマイナス要因だと思えるのですが…いえいえ、主義・主張をしようとしているのではなくて、隣に座った人等に何ら配慮無い振る舞いが主流になっていながら、今回のような一斉レスポンス事象とのチグハグが大変違和感なのです 席を譲る立派な心意気の前に、隣りに居るこちらにそのガサガサを”共有”するのをお控えくださいな』と投稿があった。

確かに投稿されたこの方の言われることはそれなりに意味のあることだとは思います。
世代の問題、スマホの充満、#電車内のマナー とか最近ではとやかく言われるようになってきた時代にはなってきたとは思います。
最近の若い人がマナーが欠けているとは全面的には思いません。ただ若い人はかつての頃に比べると、かなり#シャイで神経質 にはなっているのかなと感じることはあります。恐らく電車内で高齢の方、健康状態に困る方、妊娠されている方などに座席を譲らなければいけないという気持ちは勿論持っているものと思います。昔に比べるとかなりシャイになっていて、席を譲るなどそういう行動を公衆の前で行うことには恐らくは戸惑い、気恥ずかしさを持っているんだと思います。きっと集団であれば、或いは今回のように知らない人たちでも3、4人でそういう行動をとる時には大きな抵抗がないのではと感じています。また、投稿者の書かれたように他の人が立てば、自分だけ座っているわけにはいかないという気持ちもあったかもはしれませんね。
確かに、かつては電車の中で声を出して話すことにはそんなに大きな抵抗とか、恥ずかしいという気持ちは少なかった時代だったので、電車内で高齢者に席を譲るということは、何も照れるとかいう気持ちはなかったと思います。
十数年前に出張で札幌に行った時に驚いたのは、地下鉄で結構混んでいるのに優先席に誰も座ってなく、他の車両も見たら皆同じ状態であったことでした。当時東京ではすでに優先席に若い人が座っていたのは当たり前でしたので新鮮でした。札幌では1975年から市民の声で優先席ではなく、「専用席」となったそうですが、満員であってもそこは該当者だけの席だそうです。いい市民ルールですね。

最近ちょっと感じるのは、やはりスマホのせいだと思うのですが、若い人に限らず席に座りたいと思う人が圧倒的に増えたなあと感じることです。
それはそれでやむを得ないことなのでしょうが、やはり#最小限の思いやり とか心の余裕がいつでも必要じゃないかとふと思ってしまう。
